カミソリ倶楽部の歩み
会社沿革
カミソリ倶楽部のこれまでの歩みはコンテンツとしても公開されています。
1903
創業
東京神田に鈴徳安全カミソリ製作所開業
職人、鈴木徳右衛門は一般使用のカミソリホルダーの製造を開始。当時は職人技に頼るもので生産量も限られていた。
1920~
安全カミソリの普及
第一次世界大戦によりジレット製安全カミソリが世界中に普及。日本でも輸入がはじまった。1932年には国内初の安全カミソリメーカー日本安全剃刀工業(現フェザー)が設立。
1957~62
新しい商機の到来
戦後、三宝商事と改名しカミソリの販売代理店に。エバーシック社極東支配人、ピーター・オリバー氏と会談。カミソリの輸入自由化が間近なことを知る。
その後まもなく1960年にカミソリホルダー、1962年に替刃が輸入自由化され、熾烈な販売競争が始まる。
1965~71
戦後カミソリ市場の対決
三宝商事が主力として取り組んでいたシックはジレット・フェザーと日本国内シェアを競い、スーパーマーケット特販部も設立。やがてシェア40%弱に達し、首位の座を確立する
1982
シック市場占有率70%の時代
他を大きく引き離してシックの国内シェアは70%を超える。他国に類を見ない日本だけの事象として世界からも注目されることとなる。写真は輸入自由化20周年記念式典であいさつする竹内金蔵
1989
「カミソリ倶楽部」の誕生
カミソリ文化伝承の場として渋谷区神宮前に「シェービング文化館50・竹内カミソリ倶楽部」オープン。カミソリの歴史に関する所蔵品や図書を展示。
1994
米大統領からの贈り物
長年にわたる米国製品の積極的な市場開拓、販売拡大に対する謝意として、第42代大統領ビル・クリントン氏より直筆署名入り写真を拝受。また同年「カミソリ史記」発刊。
2000
新事業への展開
資本及び業務提携により、竹内 康起、三宝商事代表取締役会長を退任。新生株式会社カミソリ倶楽部を南青山に設立、高級カミソリ製造と市場開拓に着手。2006年にはパフォーマンス集団「ヒゲ倶楽部」設立
2014
ショールーム & 理髪店開業
横浜市青葉区にショールーム開設。バーニーズニューヨーク横浜店4Fにて理髪店を開業。
新旧カミソリの展示と高品質ギフト消費品の陳列を主体とする。
2023
オンライン販売への注力
新型コロナ禍以降、オンライン販売とネットを活用したアドバイスや接客にも本格着手。オリジナルアイテムも企画製造。
1903年 | 東京上野末広町で,鈴徳安全カミソリ製作所開業 |
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1938年 | 戦時下に発令された国家総動員法によって鈴徳安全カミソリ製作所、工場閉鎖 |
1939年 | 東京神田元佐久間町にて高級刃物卸商竹内金蔵商店を開業 |
1948年 | 竹内金蔵商店、日本橋小伝馬町に移転。翌年49年に三宝商事株式会社に社名変更 |
1949年 | 日本安全剃刀工業(現、フェザー安全カミソリ株式会社)の販売代理店に加入 |
1960年 | カミソリの貿易自由化到来、米ジレット、米シックなど揃って日本市場へ上陸 |
1962年 | 替刃も完全自由化に、カミソリ市場激動期に突入、三宝商事は米シックを主力に取り組む |
1965年 | シック替刃広告に”15人の理容師がステンレス替刃の耐久性を推奨”を宣伝 |
1966年 | 三宝商事カミソリ専業大卸として販売拠点設置、問屋政策を通し全国小売り店へ |
1968年 | 流通改革に伴い大手量販店との取引開始。イトーヨーカドー、ダイエー、西友など |
1970年 | シック替刃式レザーの開発と普及に専念、理容業界への初の使い捨て刃となる |
1980年 | 当時の市場占有率、シック69.8%、ジレット10.2%、フェザー9.4% |
1989年 | 三宝商事創業50周年祝、ジレット、シック、英国ウィルキンソンほか感謝歴訪 ジレット、シック、ウィルキンソン、フェザー、他 本社代表より社主金蔵氏へ感謝状と同年12月8日 原宿に竹内カミソリ文化館を開設。 |
1992年 | 上記カミソリ文化館を日本橋本町に移転。文化事業の他に関連情報の発信基地に |
1994年 | 米国製カミソリ輸入貢献によりクリントン大統領よの直筆署名入り写真を拝受 |
2000年 | 京都のK社と資本及び業務提携、竹内 康起、三宝商事代表取締役会長を退任 新生カミソリ倶楽部を南青山に設立、高級カミソリ製造と市場開拓に着手 |
2006年 | ヒゲ文化を命題にヒゲ剃り道具、手入れ、造形、理容専科仲間とヒゲ倶楽部設立 |
2014年 | 横浜市青葉区にショールームを開設 バーニーズニューヨーク横浜店4Fにて理髪店を開業 |
Yasuoki Takeuchi
竹内康起
1966年立教大学卒業後、父・金蔵が経営する三宝商事株式会社に入社。学生時代のアメリカ生活の経験を活かしたスーパーマーケットへの販路展開などにより、事業拡大に貢献。
1984年三宝商事代表取締役社長に就任。2000年株式会社カミソリ倶楽部設立。代表取締役社長に就任。
100数回に及ぶ海外業務渡航を重ねる中、世界中の理容とカミソリの文化に思いを馳せ、世界中の理容室を取材・撮影した「World Barber Tour」を監修。著書「カミソリ史記」では、カミソリの歴史と日本市場成長の過程を知ることができる。
→代表者挨拶・紹介
Kinzo Takeuchi
竹内金蔵
1914年生まれ
貿易商勤務を経て1932年刃物問屋に入社。その後鈴徳安全カミソリ製作所の鈴木徳右衛門の五女と結婚し、戦後焼け残った工場から事業再興。
1949年、株式会社三宝商事代表取締役社長就任後は、国内のみならず海外のカミソリメーカーとも積極的な提携をすすめ、戦後日本国内のカミソリ市場拡大に尽力。全国を8ブロックに分けるなどアイデア豊かに販売網を構築し、日本国内におけるカミソリ販売高の50%を売り上げるに至る。
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