コンテンツへスキップ

記事: 西洋カミソリの歴史

西洋カミソリの歴史

西洋カミソリの歴史

レザーの完成には2000年以上

折りたたみ式の両刃のカミソリ、レザー(西洋カミソリ)は、前6世紀のローマから使われるようになったとされます。

ヨーロッパでは、アルプス地方で鉄が生産されるようになったのは、紀元前658年に遡るが、 鉄製のレザーが、操作上の機構や切れ味を克服して完成したのは、一九世紀に入ってからのこと。 原型ができてからレザーの完成までに、なんと2000年以上もかかった計算となります。

レザーやナイフなどの鋭い刃物を作るには、良質の鉄をはじめ、それを鍛える良質の燃料、鍛え加工するための水(動力)が必要とされ、さらに、刃のミネから刃先にかけて、両側から内側にえぐるようにして、刃先を薄く仕上げていく必要があります。そのためには、水の流れを動力に変えて使う方法や工作機械が必要とされるのですが、それらが実用化され、発達する19世紀まで、レザーなどの鋭い刃物は 製造できなかったということになります。
ヨーロッパでは、刃物を作るためのこれらの条件を満たすイギリスのシェフィー フランスのチュール、ドイツのゾリンゲンなどの地域でレザーが作られ、世界的な名産地となっていきました。

T型安全カミソリ

レザーに代わって、カミソリの主流になる安全カミソリの原型は、1762年に、フランスのパリで刃物商を営んでいた、ジャン・ ジャック・ペレーという人が作ったという記録が残されています。レザーでヒゲを剃っていると顔に傷がつき、皮膚病になることが多かったことから、カンナの原理を応用して、平型の刃に木片のガードを付け、刃先だけがわずかに覗くようにしました。 このカミソリで皮膚を切る危険を少なくしましたが、木片のガードを加工するのが難し く高価だったために、一般には普及しませんでした。

その後1847年、イギリスのロンドンで、ウィリアム・S・ヘンソンという人が、レザーを短くした刃を金具でおおって柄に直角に取り付けた、現在の安全カミソリのスタイルに近い、「T型」のカミソリを発明し、特許を取っています。 しかしこの「T型」カミソリは、刃がまだ高価で替刃を使うことはできなかったので、刃ははずして研がなければなりませんでした。しかも、研ぐときには技術を要したので、 わざわざ理髪店や刃物屋に出さなければならない面倒がありました。

世界に普及するカミソリを作った男

現在のような替刃式安全カミソリの原型が出現したのは、1904(明治37)年のことです。
創り出したのはアメリカのキング・C・ジレット。彼が考案した安全カミソリは、薄い鋼板の両側を研いで鋭利な刃とし、それをホルダーで支え、固定しているプレートの真ん中に把っ手を付けるというもので、ほぼ両刃安全カミソリに近いものでした。 ジレットは早速見本を作り出しましたが、実用化されるにはほど遠く、技術的な完成をみるまでには、それから10年近い歳月を必要としたといわれています。 とくに、鋼の薄い板から低価格の刃をどのように作るか、刃とホルダーの寸法、その調節方法など、解決しなければならない多くの問題があったのです。

やがて、エレベーターのプッシュボタンのシステムを開発した、マサチューセッツ工科 大学教授のウィリアム・ニッカーソンが、C・ジレットに協力を申し出ます。二人は、1901(明治34)年ボストンにアメリカン・セーフティー・レザーという会社を設立し、刃の適当な大きさ、形状、厚さを決め、鋼の薄い板への焼き入れ法を完成させ、現在の安全カミソリの技術的基礎を作り出してしまいます。さらに、カミソリ刃とホルダー間の調節方法を発明し、1904(明治37)年に基本特許が許可され、この3年後に両刃の安全カミソリが発売されたのでした。

しかし発売しても、その当時のアメリカでは、カミソリは丈夫で長持ちでなければダメ という先入観があり、なかなか普及しませんでした。ジレットの安全カミソリが急速に普及したのは、第一次大戦が起こったことによります。アメリカ政府から、軍需品としてジレットの 安全カミソリ350万本、替刃3600万枚が発注され、アメリカ兵とともに世界各地に運ばれていったのです。

このジレットの安全カミソリに刺激されて、1918(大正7)年頃には、世界で340種もの安全カミソリが作られるようになりました。

LINEのお友達登録でお得なクーポンプレゼント中

友だち追加